『破戒』しても破壊されない絆

古典・名作

むかし国語の試験前に暗記して『破戒』というタイトルだけは覚えていた。でも、内容については何も知らなかった。

家の本棚に見つけた文庫本。義理の母の遺品だ。文学作品を読みたい気分だったのでちょうどよかった。日焼けしたページをめくり飛び込んできた文語体に、一瞬ひるむ。

最初の数ページで「部落差別」を主題とする作品と知った。気軽に読める作品ではなさそうだと気づいて怖気づく。それが気づけば、物語に引き込まれていた。

江戸時代の厳しい身分制度のもと差別的な身分に置かれ、特定の地域(部落)に住むことを強いられた人々がいた。明治になり解放令(被差別身分廃止令)が出されてからも、職業選択や結婚などのあらゆる側面で、部落出身者に対する差別は根強く残った。

この小説が発表されたのは、物語の設定と同じ明治後期。まだ人々の偏見、社会的差別が色濃く残る時代だったに違いない。

***

主人公の瀬川丑松は、被差別部落出身の若い小学校教師。丑松は父から、「身分を隠せ」――たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅おうと決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒を忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え――と堅く言い聞かせられて育つ。

その父の死、そして同じく部落出身の解放運動家・猪子蓮太郎との出会い。「我は穢多を恥とせず」と公言し、社会に憤然と異を唱える蓮太郎の思想に心を揺さぶられ、丑松は次第に素性を隠して生きることに耐えられなくなる。

何故、新平民ばかりそんなに卑しめられたり辱められたりするのであろう。何故、新平民ばかり普通の人間の仲間入りが出来ないのであろう。何故、新平民ばかりこの社会に生きながらえる権利が無いのであろう

自分はまだ青年だ。望もある、願いもある、野心もある。ああ、ああ、捨てられたくない、非人あつかいにはされたくない、何時までも世間の人と同じようにして生きたい――

何故、自分は人らしいものにこの世の中へ生れて来たのだろう。野山を駆け歩く獣の仲間ででもあったなら、一生何の苦痛も知らずに過されたろうものを

悩み苦しみ抜いた末に、丑松は告白する。「私は穢多です、調里です、不浄な人間です」と、同僚の前で土下座して――。

***

獣ならよかったのにだなんて。土下座して謝るだなんて。

差別は今も、私たちの周りにさまざまな形で存在する。年齢や性別、国籍から、外見や趣味、嗜好まで。でも蓮太郎のように強く生きられる人は稀だ。

ラストでも、問題は根本から解決していない。でも素性を明かした後も、誠実に生きてきた丑松から、親しい人々が離れることはなかった。そこが何よりの救いだった。真っ直ぐに前を向いて歩き出す丑松が清々しかった。

書名破戒
著者島崎 藤村
出版社新潮社
出版年月2005年7月
ページ数512ページ