19人の偉人の人生を、彼らがとくに中年期をどう過ごしたかに注目して紹介した本。軽いタッチで、さらっと読める。偉人たちもひとりの人間だったのだなと、当たり前のことを思う。絶望的な失敗に頭を抱え、先の見えない毎日に心が折れそうになり、自分を鼓舞するように大見得を切る。彼らに共通していたのは、「やめなかった」ということ。
渋沢栄一、トーマス・エジソン、伊能忠敬、レイ・クロックーー旺盛な好奇心とチャレンジ精神、七転八起の粘り強さなど、それぞれの人物から学ぶことは多い。そんな中、特に印象に残ったのが、画家の小泉淳作だ。まさしく「大器晩成」の小泉は、50代から水墨画をはじめて新境地を開いた。
小泉は東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業後、絵描きでは暮らせないと商業デザインの仕事につく。お菓子のパッケージから自転車まで、あらゆるデザインを請け負ったが、どうしても仕事を好きになれなかった。
小金が入って、結構楽に暮らすことができるようになったのだが、どうもこの仕事が好きでなく、そして案外やればできるのだが、イヤでイヤで何とかして早く、この商売から足を洗いたいものだと考えていた
そういえば私も、翻訳の仕事をしていた数年前、同じようなことを考えていた。機械翻訳の精度があがり、機械が訳したものを手直しするポストエディットという仕事が増えたのだ。あれはつまらなかった……というわけで、まずここに共感。というより、世の中の少なからぬ人が同じような思いで日々働いているのではないだろうか。
鬱々と仕事に向かうかたわら、小泉は納得がいくまで好きな絵を描き続けた。画家として暮らすことを夢見ながら時間だけが過ぎていたが、趣味でやっていた陶芸がまさかの評判になる。買い手がつくようになると、小泉は陶芸を収入の足しにしつつ、画家として生きていこうと心を決めた。
このとき小泉48歳、まさにアラフィフでの再出発。しかし、そこから絵だけで食べていけるようになるまでにさらに10年かかっている。還暦を前にようやく画家として自立すると、小泉は新たな挑戦を始めた。以前からやってみたいと思っていた水墨画だ。
奥秩父の冬山を写生していたある日、「この風景をいつかは墨絵で描いてみたいな」と思いながら筆を動かしていた小泉は、突如激しい思いに駆られる。
いつかはとは何だ、自分はもうこれからどのくらい生きられるのか、描きたいのなら今から始めるべきではないか
その日から、小泉は水墨画に没頭した。そして独自の画風で世間を驚かせ、87歳でその生涯を閉じるまで、40年にわたり「画家」として充実した人生を送ったという。ほんとうに、大器晩成の代表みたいな人だ。
アラフィフで安定した仕事を捨てて「好きなこと」に打ち込む覚悟を決めたこと。不確かな暮らしの中でもやめなかったこと。努力を続けていたらやがて報われ、「ずっとやりたかったこと」にも挑戦できるようになったこと。50を過ぎて始めたことでも、長生きすれば何十年にもわたり打ち込めるのだということ。
小泉淳作のように「あきらめずに続けてきた」と言えるものが、残念ながら私にはない。でも、この書評を40年続けたら新聞に載るかな?!笑
書名 | 大器晩成列伝ー遅咲きの人生には共通点があった! |
著者 | 真山 知幸 |
出版社 | ディスカヴァー・トゥエンティワン |
出版年月 | 2025年3月 |
ページ数 | 336ページ |